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李ケイ

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李璟(りけい)は十国・南唐の第2代皇帝。初名は徐景通であったが、南唐建国後に李璟と改名し、さらに後周の臣下を称したあと後周の信祖・郭璟(太祖・郭威の高祖父)の諱を避けて李景と再改名した。

957年に後周の軍が南唐に侵入、南唐の領域であった淮南を占拠し、さらに長江一帯に迫ると、李璟は後周の世宗である柴栄に使者を送り、自ら臣下と称して帝号を廃止、国主を自称し後周の年号を用いた。

李璟は政治面よりも文化面で名を残しており、詩、詞や書に優れ、特に「小楼吹徹玉笙寒」は不朽の名句であり、次代の李煜の作品とともに『南唐二主詞』に収録されている。961年に47歳で病死した。

年号
保大(943年 - 958年)
交泰(958年)
中興(958年)

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2009年04月26日 13:36に投稿されたエントリーのページです。

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