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奈良時代

元明天皇が都を平城京に定めてからの時代で、中国では中唐の時代に当る。遣唐使をはじめ、唐との交通が盛んになり多くの中国文化が伝わった。特に聖武天皇の天平年間は奈良文化の最盛期であり、書道の発展が著しかった。この時代の書風は、六朝風の外に、晋唐の書風[1]が書かれ、王羲之の書法が学ばれた。光明皇后による王羲之の『楽毅論』の臨書が有名で正倉院に現存する。なお『万葉集』では「羲之」や「大王」を「テシ」と読ませており、この時代、王羲之が手師すなわち能書の代名詞であったことが分かる。

写経の盛行
聖武天皇は仏教を尊信し、奈良の東大寺などを建立し、国家事業としての仏教興隆を図った。これに伴い写経が盛行し、写経所を設けて写経生を養成し、写経体が生まれるに至る。この時代の写経の遺品は東大寺戒壇院に伝来した『賢愚経』(けんぐきょう、伝聖武天皇宸翰)をはじめ数多く現存する。
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書道教育
律令制度下の教育機関である大学寮に書博士という役職が設置され、後に「書道」と呼ばれる学科が形成されたが、早い段階で衰退している。

延暦13年(794年)都が平安京に遷り、政治・文化の中心地となった。聖武天皇が奈良時代の天平文化の中心者であったと同様に、この時代の弘仁文化は嵯峨天皇を中心に大きく発展した。平穏な政治情勢のもと、空海、橘逸勢をはじめ多くの名家が輩出し、名筆が遺存した時代である。

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2009年08月01日 03:37に投稿されたエントリーのページです。

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