キリスト教の例で言えば、「マルコがペトロの通訳であったかどうか、そのマルコが福音書を書いたかどうか」は歴史学の対象となるが、「『マルコによる福音書』がペトロに近い人物によって書かれたペトロの論説を伝えているものかどうか」は神学である。ゆえに偽書であるか否かという議論に馴染まない側面があることも事実であり、近世以降に派生した宗教の教典(モルモン書、原理講論)などを除けば、来歴に虚偽を含んでいようと、殊更に偽書呼ばわりされることはない。なお、上記のような理由により、「偽書か否か」と「正典か否か」は当然別問題である。
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新約聖書はイエス・キリストの直接の弟子である使徒に由来するとされる正典と、それ以外の外典との仕分けが4世紀には行われている。しかし、正典中のパウロの名による14の文書中で、実際パウロの著作と現在同意されているものは8つほどである。正典中の5つのヨハネ文書のうち、4つは匿名著者の文書がヨハネに帰せられており、残りの1つはヨハネによると記されているが、その真偽を疑われているものである。
仏教の経典について言えば、冒頭で「このように私は聞いた」(如是我聞)と述べ、釈迦の説法を聞き写したという体裁をとるのがしきたりで、その内容は仏説であるという。「仏説」を紀元前5世紀ごろの釈迦が話したことを直接の弟子が書き取ったものと定義するならば、そのようなものは現存しない。